【毒になる親】生い立ちを話して他人を試すのはやめよう

【毒になる親】毒親持ちは生い立ちを話してはいけない

一応、タイトルは毒親になっていますが、わたしの両親は毒親というほどではないけれど、エキセントリックな人たちで、わたしという生きづらい人生を送る人間が形成されるに十分な影響を与えました。

毒親持ちが自分を理解し受け入れてもらいたい気持ちはわかるが、リアルでは誰にも話すべきではない、とわたしは主張しています。
これを再確認するできごとがありました。

つらい生い立ちの人の話を、本人から聞きました。
客観的に、激しく不幸。
今まで聞いた話で、トップクラスの可哀想さ。

でも実は、この生い立ちの話を聞く以前から、悪い人じゃないけど、ウザいキャラで、面倒くさいなぁと思ってたんですよ。
うざいしイラっとくることもあるが、ある程度言い返したりくぎを刺したりして、持ち前の対人スキルで対応できるから、距離を置きたいほどではない、というレベルでした。

生い立ちのこと聞いちゃったので、可哀想な人だから親切に接しなければいけない、そんな心理的な負担を、すごく感じてます。
それでも、どうよ!?と思うことも飲み込み、親切に接しているけれども、片方に負担がかかる人間関係が、長続きするわけがありません。

その負担に耐えきれないから、みんなが離れていくんだよ。
見た目とか、そういう理由じゃなくて。
わたしは痛みに寄り添える人間でありたいとは思うけれど、全員に対して、何かしてあげられるわけじゃありません。
余計な荷物を捨てる主義のわたしは、一緒に荷物を持ってほしい人とは相容れないのです。

毒親持ちなり他の不幸なできごとなり、そういうものを抱えている人は、一緒にその荷物を持ってくれる人を求めがちです。
不幸な身の上話を相手に聞かせるのは、相手を試す行為であり、問答無用で荷物を押し付けてくる行為です。

でもね、そのずうずうしさはちょっとうらやましいと思わないでもないんだよね。
だって実際わたしは親切に接しているのだし、本人は恋人ができないのは見た目のせいだと思ってるし、耐えきれなくて離れて行く人を、あの人は酷い人だと思っていれば良いんだもん。
現実を見るより楽だよね。

わたしは、他人に踏み絵を踏ませ、荷物を持たせることを良しとしないから、生い立ちは話すべきではないと主張しているけれど、どちらが楽な生き方なのかは、正直言ってわかりません。