一応、タイトルは毒親になっていますが、わたしの両親は毒親というほどではないけれど、エキセントリックな人たちで、わたしという生きづらい人生を送る人間が形成されるに十分な影響を与えました。
限界が来て家から逃げ出し、それなりの月日が経ちました。
家を出てから、自分がこうしておけば良かったと思うことをシェアします。
自分の抱える問題に向き合うべきだった
わたしの場合、親に対する恐怖や、責められることへの辛さを感じてはいたけれど、彼らを恨んだり憎んだりする気持ちは持っていませんでした。
家を出て物理的な距離ができ、直接攻撃されることがなくなったため、親のことを考えることがなくなっただけなのに、許したと勘違いをしてしまっていました。
世間は許しの大事さを説くけれど、たとえ本当に許せたとしても、許しで問題は解決しません。
むしろ、許したつもりだったから、自分が問題を抱えていることに気づきませんでした。
何らかの形で、自分の抱える問題に向き合うべきだったと思います。
これは親との関係改善という意味ではなくて、自分の中にある、人との関わり方であったり、生活や仕事に対する能力や人生観についてです。
やっぱり、そういう育てられ方をした人って、周りから見ておかしいんですよ。
距離感がおかしい、言っていることがおかしい、話していると疲れる、(勉強はできても)能力が低い、気を使うところが間違っている、世間知らず、傷つきやすい割に他人の痛みに鈍感…そんな風に周りは見ていることが往々にしてあります。
それまでは、親のことで苦しい思いをしていたことに気を取られていたけれど、自分が周りからどう見られているかに気づくまでは、何もかもがうまく行かず、親から開放された自由を謳歌すると同時に、どうしようもない息苦しさに苛まれました。
わたしは今でこそリアルでは誰とでもうまくやっていけるコミュ力おばけですが、実はあくまでも「スキル」で対応しているだけで、人としてなにか欠落しているように感じています。
逆にそうなってしまったことにより、みんなより疲れない人生を送っていると思うので、今からカウンセリング等を受ける気はありませんが、早い段階で手を打てば、結婚して子どもを産むような、いわゆる”普通”になれたんじゃないか、と思ったっりします。
自分を好きになるありとあらゆる努力をすべきだった
自分は価値の無い人間である、誰にも受け入れられない人間である、と親に刷り込まれた評価が、そのまま自己評価になっていました。
わたしにとってそれは”事実”であって、問題意識すら持ちませんでした。
生きづらさの本当の原因がどこにあるか、わかっていなかったと思います。
自分を好きになれるように努力すべきでした。
おかしな人を引き寄せる土壌があることに気づくべきだった
育ちが育ちですから、支配しやすい土壌はもうあるせいか、びっくりするくらい、異常な人間を引き寄せます。
犯罪にも巻き込まれやすいです。
防犯の笛を持ち歩く、利用しよう・お金を取ろうという目的で近づいて来る人を見抜く、会社で泥棒の濡れ衣を着せられないように立ちまわる、などなど、リスク管理をしておくほうが良いです。
おかしな人の嗅覚は異常に鋭いため、そもそも見つからないことは無理なので、自分でリスク管理をしましょう。
前述のとおり、毒親に育てられたような人は周りから浮いているので、いざというとき味方になってくれる人がいません。
「ああ、やっぱり」になります。
まとめ
自分が抱えている問題にちゃんと向き合い、行きづらい原因は何なのか特定・解消し、親の呪縛からきちんと開放されましょう。