【毒になる親】人から大切に扱われたいなら、目指すべきはモテ

一応、タイトルは毒親になっていますが、わたしの両親は毒親というほどではないけれど、エキセントリックな人たちで、わたしという生きづらい人生を送る人間が形成されるに十分な影響を与えました。

毒親持ちの解毒についていろいろ考察しています。
モテを目指すべきなんじゃないか、という仮説を立てたので書いてみる。

お財布にされているわたしの友人

わたしの友人が思いを寄せる女の子には、彼氏がいるのだけれど、その女の子は良いもの(値段が高いもの)が食べたい時は、彼氏ではなく、その友人に食事に連れて行ってとおねだりするそうです。

一見、お財布代わりのわたしの友人は、かわいそうな気がするでしょ?
でも違うんだよね。本人にとっては、ハッピーですよ。

だって彼はその女の子に恋をしているんだもん。
その子と一緒に食事をして、一緒の時間を過ごせるんだから。

そして、いつかは彼氏と別れて、自分に振り向いてくれる希望もゼロじゃない。
まあ、彼氏と別れても次の彼氏は別の人が選ばれ、財布は財布であるのは常なんだが。

ナイスパーソンのわたしと、友人の想い人の優先順位

わたしは表面的には、ナイスパーソンです。
根拠は省くけど、わたしが誰とでもうまくやれるナイスなキャラだと言うのは、客観的事実。

彼にとって、ナイスな友人であるわたしより、その女の子のほうがずっと大切な人です。
わたしと先約があったとしても、その女の子がごはん食べたいと言えば、そちらに駆けつけるわけ。

つまり、ナイスパーソンを目指すより、モテを目指したほうが、他人に大事にしてもらえるんですよ。
「良い人はどうでもいい人」とはよく言ったものです。

どんな理屈をつけてもこどもをやっつけてやろうと思っている親を持つ我々にとって、人に攻撃されないように立ち回るのは、比較的簡単でしょ。
でもそういう人は、誰にも嫌われないけど、誰にも好かれないんだよね。
親に存在を認められないぶん、誰かに受け入れられたいと言う欲求を持っているくせに、誰にも本当の意味で好かれてはいない。
嫌われていなくて、親切な人ってだけ。

まとめ

この友人の件だけではなくて、周りを見ていると、やっぱり大事にされるのは、良い人ではなくモテる子。
仕事でも、モテる子は実力以上に評価される。
モテる子より仕事ができたとしても、よほどずば抜けてできない限り、みんなモテる子しか見てないし、お近づきになりたいのはモテる子です。

男性でも、「かわいがられる子=モテる子」が大事にされます。

毒親持ちは、他人にないがしろにされることに慣れているけど、そこから抜け出したいのであれば、良い人間になることや、人を傷つけないことに努力するより、モテを目指すほうが良いんじゃないか、というお話でした。