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スキゾイドパーソナリティ障害の人、スキゾイドパーソナリティ障害の気質を持っている人は、恋愛や結婚に積極的ではないため、「アセクシャルではないか」と聞かれることがあります。
スキゾイドパーソナリティ障害とその気質を持っている人は、「アセクシャルではない」とはっきり否定したほうが良いのではないかと思います。
「スキゾイドパーソナリティ障害とその気質を持っている人」では長いので、以降「スキゾイド」と表記させていただきます。
スキゾイド人格障害は精神疾患の枠だから実際に同じではない
スキゾイドパーソナリティ障害は分類上、精神疾患です。
セクシャルマイノリティの人たちの性的指向は、精神疾患ではないので、実際に分類が違います。
セクシャルマイノリティは弱者だがスキゾイドは弱者ではない
セクシャルマイノリティはマイノリティで弱者だけど、スキゾイドパーソナリティ障害はマイノリティだけど弱者ではありません。
スキゾイドは、みんなと自分が違うこと自体には特に悩んでいないですよね。
アイデンティティも揺るいでいないし、メンタルも不安定になっていない。
これと言って差別されてもいない。
困っても悩んでも苦しんでもいないので、セクシャルマイノリティのような弱者の立場ではないです。
団結したいセクマイに孤独を好むスキゾイドは混ぜるな危険
アセクシャルに分類されることと言うより、セクシャルマイノリティに仲間と思われることが、あまり良い結果を産まないと思っています。
セクシャルマイノリティは弱者だから、同じ属性の人で集まって、団結したほうが良いのだろうけれど、スキゾイドは団結を必要としていません。
セクシャルマイノリティは理解してもらえない、ありのままの自分が受け入れられないことで、苦悩し傷ついているわけじゃないですか。
スキゾイドは相手がセクマイだろうがセクマイじゃなかろうが、誰も受け入れないので、そのコミュニティで望まれる人間じゃないです。
恋愛への興味が薄い・ないこと以外、アセクシャルと共通点はありません。
セクシャルマイノリティの悩みや苦しみやを共有できるわけでもなく、セクシャルマイノリティが望むものも与えられないのだから、下手に仲間として混ざってしまうと、繊細な人たちを傷つけてしまうように思います。
その代わり友人としては相性は悪くないのかも?
その代わり、スキゾイドはセクシャルマイノリティに対して特に思うところはないので、”普通”に接してほしいセクシャルマイノリティに対しては、なかなか相性が良いのかな?なんて思ったりします。
スキゾイドは、わたしはわたし、あなたはあなたなので、他人のセクシャリティはどうでもいい。
別に性的指向を変えて欲しいと望んだり、自分の思うあるべき姿を求めたりしないからね。
まとめ
恋愛や結婚に消極的であること以外、アセクシャルとスキゾイドには共通点がなく、アセクシャルが望むものも持っていないスキゾイドは、気をつけないとマイノリティを傷つけてしまいます。
自分がスキゾイドパーソナリティ障害、またはその気質があると認識している人は、自分がアセクシャルとはイコールではないと認識しておくのが良いのではないかな、と思います。